共有知

ハロー、ハロー、お元気ですか。

 

時々、あてもなく携帯に話しかけることがある。その時、この言葉から始める。ハロー、ハロー、お元気ですか。

これは同じようにあてのない電話にまつわる小説、壁井ユカコの『NO CALL NO LIFE』に出てくる文言に由来するのだけど、今引っ張り出してみたら少し違っていた。ハロー、ハロー、聞こえますか?

 

これは、どこかに、聞こえていますか?

 

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私は抽象的なことや概念をこねくりまわすのが得意だと思う。

一応芸術をやる場に身を置いていて、そこでは考えたことを作品に転換することで多少なりとも実を結んできた。

でも実生活に役立つことはなんにも知らない。

家事をやれば皿を割り、コンロを水浸しにし、外に出れば電車を乗り間違え、道に迷い、鍵をなくす。正しい鉛筆の持ち方も、新聞の縛り方も、電気ポットのお湯の入れ方も、最近なんとなくできるようになってきたばかりだ。

 

それなのに愛とか、ジェンダーとか、たましい、こちら側と向こう側の境界線、そんな役に立たないことばかり考えていていいのだろうか、と思う。

だけれど私はやっぱり考え続けることしかできないので、それを共有知として公開しようと思った。

 

共有知の力を信じている。

例えば私は旅行に行った時、ほとんど写真を撮らない。

一緒に行った誰かの方がずっと上手く写真を撮ってくれるし、ネットにはベストな時間にベストな機材で撮られた美麗な画像がたくさん落っこちているからだ。

得意な誰かがそれをやって、皆で共有できたらそれでよくない?そうしたら人類もっと早いスピードで発展できるんじゃない?

 

ねえ、やっぱりさ、昔の哲学者だって余暇から生まれたものだし、今はいい時代だから私はこのまま高等遊民やっていこうかな。

ここがいい場所になればいいな。

わずかでも、誰かの、何かになったらいい。

 

 

 

ほてる。ホテル。ずっと、私の安寧の地を探している。